LOGIN「水緒はなんで外に出たんだ?」
流は振り返って水緒を見た。 「流ちゃんが大変だから来てくれっていう保科さんの声が聞こえたの。それで慌てて外に出たら、あの……」 水緒は「鬼」という言葉を飲み込んだ。 保科から「鬼」は蔑称だと聞いたからだろう。 「そうか。もう「江戸へ行ってみませんか?」
いつまでここにいるのか、と言う流の問いに、意外な答えが返ってきた。 「江戸? なんで?」 「その娘の親戚を捜すのでしょう」そういえばそうだった。
「私の親戚? でも、お母さんは死んだし、お父さんがいるって話も……」
「捜せばどこかに親戚がいるはずです。供部を最可族の村に連れて行くわけにはいかないでしょう」 確かに狼の群れの中に兎を連れていくようなものだ。 「しばらくは最可族の村へは帰れそうにありませんし」 まだ流を受け入れる準備が出来ていないというのだ。 どんな準備かは知らないが。 「ですから、その間にその娘の親戚を捜しましょう」 と言っても明日いきなり出掛ける、と言うわけにもいかないので、二、三日中に、と言うことになった。翌日、川で魚を獲っていると男女の二人組が近付いてきた。
こいつら鬼だ!
「小僧、おぬし、最可族か?」
「何か用か」 「ここらで最可族が供部を飼ってると聞いたのでな」 水緒を狙ってきたのか! 「全部横取りしようとは言わねぇ。腕一本くらいは残してやるから素直に出しな」 「ふざけるな!」 魚を放り出すと男に突っ込んでいった。腕を振り下ろす前に男に腹を蹴り上げられた。
足の爪で腹が大きく切り裂かれた。「ぐっ!」
流が地面に転がったところに女が待っていた。 「さっさと渡さないからだよ」 女は流の腹を爪で突き刺した。 「くそ!」 流は腹を刺されながらも腕を振り上げて女の顔に切りつけた。 「っ! このクソガキが!」 女が爪を振り下ろすのを転がって「死にな!」
女が流の首目掛けて爪を振り下ろそうとした時、 「ぎゃ!」 どこからか飛んできた矢が女の額を貫いた。 「ぐわ!」 続いて男の鬼の胸に矢が突き刺さった。 倒れた二人の鬼に保科が駆け寄ってくると刀で首を切り落とす。「流様!」
「ほ、しな……水緒……あいつら……」 流は何とか声を絞り出した。 「話さないで下さい。今、家に……」 「あいつ、ら……み、水緒を……狙っ……」 「あの娘なら家にいます」 保科が言い終える前に流の意識は途切れた。「流ちゃん!」
その声に流の意識が戻った。 保科に抱えられて入ってきた流を見て水緒が声を上げたのだ。 水緒が慌てて引いた布団に保科が流を横たえた。 「流ちゃん……」 水緒が心配そうな顔で流を覗き込む。 大丈夫だ、と言ったつもりだったが、声になっていなかったようだ。水緒の無事な姿を見て安心した流が目を瞑り、そのまま眠ろうとした時、
「水緒さん、薬草を採りに行くので手伝ってもらえませんか?」 保科の声が聞こえた。 「はい」薬草……?
流が薄目を開けて見ると保科の後を水緒が
保科に持てないほどの量の薬草を
保科が水緒を見下ろした。
あの目付き、どこかで……。
息が苦しい。
傷が熱い。〝この娘を食べれば傷などすぐに……〟
食べれば……? そうだ!以前鬼が水緒を見た目付きだ。
「保科……」
痛みを「流様、安静になさっていて下さい。今、薬を……」
「私、流ちゃんに付いてましょうか?」 流の枕元にやってきた水緒が保科を見上げて訊ねた。 「それは……」 保科が言い淀む。 やはり薬というのは水緒のことだ。「ほし、な」
流は保科を見上げた。 「こ、こから……出、てい、け」 「流ちゃん!?」 「それは……流様……」 保科は何故そう言われたのか察したらしい。 「俺が、お前……の、たた、り名……を、言っ、たら……お、前は、死、ぬか……」 「無論です」 「お、れに……それ、を、たし、かめ……させ……るな」 そこまで言うと、大きく息を「保科さん! 流ちゃん、保科さん、ホントに行っちゃうよ!」
水緒が流を覗き込んで言った。 「保科さ……」 引き止めようとした水緒の手を掴む。 「流ちゃん?」 水緒が振り返った。 流は握った手に力を込めた。 「流ちゃん」 水緒は座り直すと自分を掴んでいる流の手に、もう一方の手を重ねた。 水緒の温かい手の感触に流はようやく安心して意識を手放した。次に流が目を覚ますと水緒が自分に寄り添うようにして眠っていた。
手は握ったままだ。 水緒に自分に掛けられている「流ちゃん……、傷の具合はどう?」
目をこすりこすり訊ねた。 「もう少し寝てれば治る」 「良かった」 水緒が安心したように微笑んだ。 そのとき水緒の腹が鳴った。 水緒の頬が赤くなる。 流は水緒の手を離した。「腹減った。まだ米あるんだろ。飯、作ってくれ」
「うん」 水緒はすぐに立ち上がった。 しばらくすると水緒が粥を持ってきた。 何も入っていない粥だったが、水緒が無事だったからこそ作れたものだと思うと旨かった。「お米、もうすぐ無くなっちゃうよ」
水緒が言った。 「ここを出よう」 保科が置いていった地図を見ながら言った。 水緒のことは鬼達の間に知れ渡ってしまったようだ。 今後は流を狙う最可族の他に、供部である水緒を狙う鬼達まで次々にやってくるだろう。 これ以上ここにいるのは危険だ。「ここにいたら駄目なの?」
「鬼に俺達の居場所を知られた。これ以上ここにいるのは危ない」 「行く当てはあるの?」 「無い。川に沿って道があるから、それに沿って行ってみよう」 「うん。分かった」 水緒は素直に頷いた。人混みを抜け二人は人気のない路地に入った。 その路地を抜けた先の空き地の隅に他の木々に紛れて小さな桜が一本だけ生えている。 ここは二人だけの花見の場所だ。 初めて水緒と二人だけで花見に来た時、道に迷って入り込んだのがここだった。 何とか上野への道を探そうと地図と首っ引きになっている流に、「流ちゃん、ここでいいよ。桜、ちゃんと咲いてるよ」 と言った。「たった一本、それもこんな小さい木だぞ」「大きくても小さくても桜は桜だよ。私にとっての流ちゃんと同じ」 水緒はそう言って微笑んだ。 それは流にとっての水緒も同じだった。「ね、ここを二人だけのお花見の場所にしよう。ここなら静かに見られるし」「水緒がそれでいいなら」 確かに水緒しかいない場所なら気を張り詰めている必要がないから流としても異存はない。 それ以来、二人は毎年ここへ来ている。「この木、大きくなってきたね」「そうだな」「あのね、私の錦絵を描きたいって言われたの」 水茶屋の看板娘を錦絵に描くことは良くあった。 店の方も宣伝になるので快諾する。「一枚くれるように頼んだの。流ちゃん、貰ってくれる?」「ああ」 江戸中から水緒を見に男どもが集まるのかと思うと不愉快だが引き受けてしまったのなら仕方ない 流が辺りを見回した時、桜の背後の崖の上に白い花が咲いてるのが見えた。 白い色が水緒の純粋さを、風に揺れる姿がか弱さを表しているように思えた。 流は崖に取り付いて上った。「流ちゃん?」 流が花を取った途端、足場にしていた石が外れて転がり落ちてしまった。「流ちゃん、大丈夫!?」 水緒が慌てて駆け寄ってきた。「これ」 流は花を水緒に差し出した。「私に? 有難う。流ちゃんからの贈り物なんて嬉しい」 水緒が本当に嬉しそうな笑顔で言った。 あまりの喜びように流の方が戸惑った。「雑草だぞ。
流はここ数年で剣の腕が上がった。 勿論まだまだなのだが桐崎の化物討伐に同行出来るくらいにはなった。 討伐は大抵桐崎、小川と三人で行く。 化物が現れるところで待ち受け、討伐対象がやってくると小川が結界を張って敵に逃げられないようにする。 討伐の依頼人は対象の化物に狙われていることが多い。 当然敵は依頼人の前に現れる。 小川は依頼人にも結界を張る。 化物を倒したはいいが依頼人も死んでしまった、なんてことになったら報酬がもらえなくなるからだ。 それに依頼人を死なせた、などという事になったら当然評判が落ちて依頼してくる者もいなくなってしまう。 今回の依頼人は大身の旗本だった。 しばらく前から夜になると化物が屋敷に現れるようになったという。 屋敷には結界が張ってあるので化物が入ってくることはないが建物の周りを彷徨かれては夜、外出することもままならないし外聞も悪い。 と言うことで退治の依頼が来た。「拙者がここにいる必要は無い。そうであろう?」 屋敷の庭で依頼人の長男が中に戻りたそうにしながら何度も繰り返している。 事前の調査の結果、化物が狙っているのは依頼人の長男だと言うことが分かったのだ。 それで囮として庭にいてもらうことにした。「来た!」 流が逸速く察知した。 次の瞬間、庭に何かが飛び込んできた。「出た!」 長男が怯えた様子で後退りした。 頭が三つある犬の化物だった。 三頭、いや、もっとか。 複数の犬の怨念が集まったものだ。 化物は真っ直ぐに長男に向かっていく。「うわあああああ!」 長男が頭を抱えて蹲った。 化物が長男の直前で結界に弾かれる。「この犬どもに心当たりがありますな」 その言葉に、長男がびくっとした。 桐崎達は何故犬の化物がこの男の前に現れたのか分かっているようだ。「こいつらを斬りま
流と水緒が江戸に来て五年の歳月が流れた。 流は水緒の働いている水茶屋に着くと足を止めた。「水緒」 流が声を掛けると水緒が振り向いた。「あ、流ちゃん、もうすぐお終いだからそこに座って待ってて」 前掛けをした水緒は茶碗や団子の載っていた皿を持って店の奥へ向かう。 流は毎日水緒の送り迎えをしていた。 贄の印がなくなったとは言え供部であることに変わりはない。 一人で歩かせるのは危険だ。 それに水緒の送り迎えでこう言う盛り場を歩くようになって分かったのだが、危ないのは何も妖だけではなかった。 警戒する必要があるのはむしろ人間の方だ。 水緒は可愛いから特に危ない、と桐崎も水緒の送り迎えをするように勧めた。「仕事は大変じゃないか?」 店を後にすると水緒に訊ねた。「大丈夫。お店の人も優しい人だし、お客さんもいい人ばかりだよ」「そうか」 大変だと言うようなら無理にでも辞めさせようかと思ったが、今のところ上手くやっているようだ。 流は腰に大小を差していた。 最初は歩き辛かったが慣れるとそれほど邪魔にはならない。 武士は二本差しで歩かねばならないらしい。 一本しか差していない者がいるから桐崎に聞いてみたら牢人などは一本しか持ち歩かない場合もあるとのことだった。 流は武家だから二本差して歩くように言われている。 桐崎は流と水緒を武家として育てたいらしい。 言葉遣いなども武家らしくするように言われていたが、流はともかく水茶屋で働いている水緒はなかなかそうはいかないようだ。 武家の人間が水茶屋で働くわけにはいかないので水緒は普段、町娘の格好をしていた。 水緒が町娘の格好をするなら流も町人の格好をしたかったのだが、町人は帯刀が許されていないのでダメだと言われてしまった。 最初、流は人間の身分などどうでもいいと思っていたが、街に長く暮らしていると人間の世界では守らないといけないらしいと言うことが分かってきた。
看板が掛かっており、そこには「よろず御祓い承ります」と書かれていた。 桐崎が玄関でおとないを請うと、 「おお、生きて戻ったか」 総髪の男が出てきた。 髪や髭に白いものが混じっているが、それほど年は取ってなさそうだ。「流、水緒、この人は小川禅定殿だ」 桐崎は小川に流と水緒を紹介した。 「その娘か?」 「印がついてるのはこの子だ。それとこっちの坊主も頼む」 「え?」 流と水緒が同時に桐崎を見上げた。「その坊主が鬼か。長くこの仕事をしているが、子供の鬼というのは初めて見たな。鬼は生まれたときから大人なんだと思っていたぞ」 小川はそう言って笑った。 「おっさん、どういうことだよ」 「いや、鬼避けの結界が張られてるところは意外と多いからな。そう言うところに入れないと困るだろ」 確かに入れなければ鬼だとバレてしまう。 そう言うところを避けようにも流には結界が張ってあるかどうかは分からない。「そんなことが出来るのか?」 「まぁ、儂に任せなさい」 小川はそう言うと奥へと入っていった。 流達が後に続く。 通された部屋は変な匂いがした。「なんかいい匂いがするね」 「これは香の匂いだ」 桐崎が説明した。 小川がごちゃごちゃした絵――曼荼羅というそうだ――の前に座り、水緒に対座するように言った。 水緒が前に座ると、小川は間に置かれた白い台の上の灰が入った器で香を焚いた。 ぶつぶつと何やら言っていたかと思うと、突然、 「喝!」 と怒鳴った。 その瞬間、 「っ!」 水緒が胸元を押さえた。「水緒!」 思わず流が立ち上がった。 「心配いらぬ。印は消えたぞ」 水緒はそっと自分の胸元を覗いてから流を見上げた。 「ホントだよ、流ちゃ
「おばさん、私に家事を教えて下さい。よろしくお願いします」 水緒はお加代に頭を下げた。「はいよ」 流達はお加代が持ってきた桶の水で足を洗って家に入った。「わぁ、猫だぁ!」 水緒は居間で丸くなっていた猫を見付けると嬉しそうに近付いた。 ここまで来る途中の宿場町で何度か猫を見掛けていた。 初めて猫を見た時、水緒は顔を輝かせて近付いていったが逃げられてしまった。 水緒はがっかりしながらも桐崎に「あの動物は?」と訊ねて「猫という生き物だ」と教わった。 流と猫の目が合った。 ただの猫じゃない!「水緒! そいつは……!」「それがしの飼い猫でな、ミケというのだ」 桐崎が流の肩に手を置いて言葉を遮った。 そうか……。 化物退治が仕事の桐崎が化猫に気付かないはずがない。 危険はなさそうだ。「こんにちは、ミケちゃん。私は水緒。よろしくね」 水緒がそう言って撫でると、ミケは気持ち良さそうに目を閉じた。「そういえば旦那を訪ねてきた人がいましたよ」「山本殿だろう。家に着くのは今日になると言ってあったのだが、よほど急いてるのだろうな」 桐崎は居間に腰を下ろした。 お加代が台所へ向かうと水緒も後に随いていった。 流が水緒の後に続こうとすると、桐崎が、「流、お加代さんは茶を入れに行っただけだ。すぐに戻る。お前も座りなさい」 と言った。 一瞬迷った後、桐崎の斜め向かいに座った。「旦那、お待たせ」 お加代はそう言って盆に載せて運んできたお茶を桐崎の前に置いた。「はい、流ちゃん」 水緒がお加代の真似をして流の前に膝を突くとお茶を置いた。 旅籠に泊まる度に出されるお茶を飲みながら、なんで普通の水ではなく色と味の付いたお湯を出すのかと思っていたが、水緒が入れてくれたものは美味かった。 お茶を出すと水緒はすぐにお加代と共に台所へ行ってしまった。 物音が聞こえるから夕餉でも作っているのだろう。「水緒の印って言うのはいつ消すんだ?」 桐崎は江戸に着いたら、と言っていた。「野尻宿から文を出しておいたから、後は向こうを訊ねるだけだな」「ならこんなところに座ってないで早く行こう」 江戸は中仙道ほど鬼は多くなさそうだが印を消せるなら早い方がいい。 ミケだって桐崎が飼って
徐々に人通りが多くなってきた。 今まで以上に多い。 建物も増えてきた。「おじさん、ここが江戸?」「いや、ここは大宮宿だ。江戸はこんなものではないぞ」 桐崎の答えに水緒が目を丸くした。「ここよりも人が多いの?」「そうだ。着いたらびっくりするぞ」 まだ九つ前だったので大宮宿はそのまま通り過ぎた。 次の蕨宿で桐崎は泊まるかどうか逡巡したようだが、大宮宿との間にあった立場茶屋で一休みしたからか水緒がまだ歩けそうだったので次の板橋宿を目指すことにした。「少々遅くなってしまったな」 もう辺りは日が暮れていた。「水緒、歩けるか?」 流は水緒に訊ねた。 疲れているようなら背負ってやろうと思ったのだ。「うん、平気」 無理をしてるな、と思ったが、とりあえずまだ大丈夫そうだったのでそのまま歩かせることにした。 不意に殺気を感じた。「流! 水緒! 気を付けろ!」 桐崎が抜刀した。「水緒、俺の後ろに」 流が水緒を庇うように立った。 目の前に二体の鬼が飛び出してきた。「お前らに用はない。その娘だけ置いてけ」 流は身構えるように立った。 ここへ来るまで何度か同じようなことがあった。 水緒は本当に良く鬼を呼び寄せてしまう。 しかし桐崎は強かった。 化物討伐で食っていると言うだけあって刀一本で鬼を斬り伏せてしまう。 片方の鬼が飛び掛かってきた。 流が水緒を押し倒して伏せるのと桐崎が鬼の首を落とすのは同時だった。 片方の鬼がやられても、もう片方は逃げる気はないようだった。 残った鬼が桐崎に向かっていく。 鬼が腕を振り下ろす。切り裂く気らしい。 桐崎は体を開いて躱すと鬼の胴を払った。 鬼が真っ二つになって倒れた。 そのとき流は別の殺気を感じて振り返った。 どこからか、もう一体現れた。「おっさん!」 流が伏せたまま叫んだ。 自分で倒しても良かったのだが、鬼になるなと言われてるので桐崎を呼んだのだ。 桐崎が振り返るのと、知らない男が鬼を斬り倒すのは同時だった。「もう大丈夫ですよ」 見知らぬ男が言った。 流は辺りの気配を探り、安全だと確信してから立ち上がると水緒に手を貸した。「これは忝い。しかし、そこもとはこの前、我らを見ていた御仁ではないかな」 桐崎が







